補聴器と聴覚障害区分について

《ひゃんりぶろぐ》

前回の続きで補聴器と聴覚障害についてのお話ですが、長くなるので聴覚障害については次の更新の時に☆

補聴器が実際に発明されたのは日本だけじゃなく海外から始まった。

補聴器歴史について。耳に取り付ける集音器のような原始的な補聴器は17世紀にはすでに製造されて電気的な信号増幅を行う現代的な補聴器は、19世紀に発明された電話機の派生物である。電気式補聴器は1898年に最初に作られ、20世紀を通して性能向上と小型化が進められた。20世紀末には高度な信号処理機能を備えたデジタル補聴器が一般に購入できるようになった。

20世紀の前半には、補聴器産業は電気機器が小型化されていく流れの最先端にあり、真空管トランジスタICのような新技術が登場するたびにいち早く導入された。補聴器に頼るのは恥ずかしいことだという社会通念があったことから、小型化は携帯性の面だけでなく使用を隠せる点で需要が高かったのである。デザイン的にも携帯用補聴器は箱型から耳かけ型、さらに挿耳型と、より目立たない方向へ進化してきた。

初期の補聴器は外付けの耳介のようなもので、前方から来る音を耳孔に導き、それ以外の方向から来る音を遮断するだけの器具だった。大きな葉や貝のような自然の素材が用いられた歴史は古く、17世紀にはすでに耳に取り付ける金属製の補聴器が製造されていた。ホーン形の集音器を持つイヤートランペットは17世紀に登場し、18世紀末には一般化した。イヤートランペットは多くの場合折り畳み式で、高価な工芸品であった。よく知られた当時のモデルには、タウンゼンド・トランペット(ろう教育者ジョン・ダウンゼンドによる)、レノルズ・トランペット(画家ジョシュア・レノルズのために作られた特製モデル)、ドーブニー・トランペットがある

日本への導入

日本で初めて電気式補聴器が輸入されたのは1908年のことである。代表的な輸入業者であった吉田勝恵商店は「アウリクル(耳殻)」という名のイヤートランペットやチューブ式補聴器の製造もおこなっていた(同社は1911年の創業で、2010年代にも認定補聴器専門店として営業を続けている)。1910年に輸入されたアコースティコン社のカーボン補聴器には160円の価格がつけられた。国語辞典の(辞林)では1925年の版から「補聴器」という言葉が収録された。1934年には、医学博士でろう教育に携わっていた加藤亨によって初の国産電気式補聴器「リッカフォン」が開発された。

1949年に制定された身体障害者福祉法によって補聴器が支給対象に指定されると、日本における補聴器の普及は本格化し始めた。その前年、小林理研製作所(現リオン)が日本で初めて真空管補聴器を生産し、5000円の価格で販売した。「弁当箱」という愛称がつけられた第1号モデルは名前の通りやや大きく、同時期のコンパクトな外国産モデルと比べるとまだ技術的に見劣りした。戦後初めて補聴器の民間輸入が行われたのは1951年のことで、ソノトーン社のポケットサイズモデルには諸費用込みで8万円という高額の値段がつけられた。

聴覚障害についてはこちら

今日はここまでになりますが、次の更新に☆

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